誰かのために生きることが間違っている3つの理由【結局自分のため】

自分のために生きろ

頑張る理由?家族・友人・社会のためさ

そんな考えをぶっ飛ばしましょう!

改めて聞きますが、あなたは何のために生きていますか?

それがもし自分のためでないなら、その生き方は今すぐやめた方が良いです。

今回は【自分のために生きる】をテーマにお話をしていきます。

本記事の内容
  • 誰かのために生きることが間違っている3つの理由
  • 自分のために生きるとどうなるのか

誰かのために生きることが間違っている3つの理由

どんなに大切な人でも、どんなに長い付き合いであろうとも、人は自分のためにしか生きることはできません。

誰かのために生きるなんて誰にもできないのです。

「そんなことない!自分のために生きることの方が間違っている!」

そんな意見もあると思いますので、3つの理由に分けて見ていきましょう。

理由① 誰かのためと思う気持ちさえ自分のためだから

世の中には自分の身を犠牲にして誰かのために生きている人もいるでしょう。

しかし、そんな自己犠牲さえも根本にあるのは「自分のため」です。

例えば

愛する者のために毎日の送り迎えや、プレゼントなど、とにかく相手が喜ぶことは何でもしてあげる人。

この人には相手を満足させることで自分も満たされているという背景があります。

でなければ、愛する者にしてあげる理由がありません。

本当に誰かのために生きているなら、特定の人でなくて、別に誰でもいいのでは?ということです。

愛している人じゃなきゃ意味ねーんだよ!

愛する人は自分で選んだ人です。

誰かに指示された訳ではありません。

自分で選んだということは自分の欲求を満たす選択をしたということです。

つまり、愛する者=自分の欲求そのもの

そんなことはない!

愛する人のためなら自分の欲求さえなくせる!

では、愛する者が「もう2度と会いたくない」とあなたに望んだらどうでしょうか?

相手の望みが叶うなら「はい、分かりました」と喜んで応じることができますか?

できるはずがありません。

できるのであれば、最初から誰でも良いという答えになっています。

何かを愛するということが、そもそも「自分のため」なのです。

理由② 長続きしない

誰かのために何かをすることは長続きしません。

何故なら、自分の望んだ通りにことが進まないからです。

例えば

愛する人のために毎日送り迎えをしたとします。

相手は嫌なことがあって、迎えに行っても怒っている。

送っている最中も怒っていて始終無言、お礼の一つもない。

これが1週間続けばどうでしょうか?

あなたは送り迎えを続けられますか?

答えはNOです。

何故なら、あなたはそんな状況を望んでいないから。

「こんなにしてやってるのに」と人は「誰かのために」行動すると結局、何かしら見返りを求めてしまうのです。

理由③ 盲目的になる

少し前に知り合いから相談を受けることがありました。

詳しくは割愛しますが要約すると「彼女のためにしてあげられることをしたい」という内容。

しかし、実はもう彼女とは別れていて

彼女の方は彼に対して「会いたいくない」それだけを望んでいました。

そう何度も言われているのに「いや、でも、だけど、彼女のためにしてあげられることをしたい」

壊れたロボットかと思うほど同じことしか言わないのです。

彼女の全く望んでいないことをする彼は盲目的ではありませんか?

更に恐ろしいのは彼は盲目的になっているが故に本気で彼女のためになると思っていたことです。

自分のために生きるとどうなるのか?

幸せ

では、他人のためではなく自分のために生きるとどうなるのでしょうか?

結論から言うと、他人のためになります。

は?意味が分からん

そう感じる方もいると思うので、自分のために生きることが何故、結果的に他人のためになるのかを先程の例に準えて解説していきます。

ケース① いい距離感を保てる

「他人のため」ではなく「自分のため」を前提としている人は自己犠牲のつもりなどありません。

例えそれが「他人のため」と口では言っていても、根本が「自分のため」と理解しているので無理のない範囲で行い、どうすれば自分も相手も満足することができるかを考えます。

その結果、相手も気疲れを起こさず、俗に言う「重い」という状況にはならずに済みます。

案外、尽くされる側というのもしんどかったりするので、いい距離感を保つというのは結果的に「相手のため」になります。

ケース② 長続きする

元々、継続できない人は置いといて、自分のために行動する人は何事も長続きさせることができます。

何故なら、自分の望む方向に物事を進めようとするからです。

毎日の送り迎えも「自分のため」という前提があれば、相手が不機嫌であってもその場で改善しようとしたり、時には断り、時には話し合いして「自分のため」に毎日の送り迎えを楽しいものにしようとします。

結局、自分のしたいことをしているだけなので、そこに見返りは求めません。

見返りを求めないから良い関係が長続きします。

ケース③ 盲目的にならずに済む

自分の取る行動が自分のためと理解していれば、先程の彼のような盲目的に行動は取らずに済みます。

盲目的になっていなければ「会いたくない」と言っている彼女に対しても、心苦しいですが会わない選択をできたはずです。

自分の行動が結局、彼女を苦しめているだけだと気づくことができるんですね。

まとめ

人
  • 人は誰かのために生きるなんてことはできない
  • 他人のための行動は結局、自分のため
  • 自分のための行動は結果的に他人のためにもなる

人の為と書いて偽りとなるように、人の為と言うのは結局、自分の為なんです。

大切なのは、人の幸せや、喜びを生み出すことは結果的に自分のためになると理解すること。

逆に言うと自分のためだけに生きていては他人の幸せや、喜びを生めず、結果的に自分のためにはなりません。

このブログも全く自分のためにならないのであればやっていません。

やってても長続きしないし、毎日更新なんてしない。

自分のために書いたブログが結果的に誰かの役に立っているに過ぎないのです。

だから続けられるし、毎日更新もできています。

矛盾しているようですが、答えはシンプルです。

自分がしてもらって嬉しいことは他人にもしてあげるとお互いハッピーだよね、だからみんな自分がしてもらって嬉しいことを人にもしてあげようね。

これだけです。

そこに「いや、俺は他人のためだけに生きる」と言う人が現れれば、みんなが困惑するというお話でした。

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