失敗したくないよ・・・
そんな悩みを解消します。
普段の生活の中であなたはどれぐらいの失敗をしていますか?
「失敗は怖いもの」「失敗するのは嫌」僕はずっとそんな風に思っていたので、失敗しないために挑戦しない人生を歩んでいました。
しかし、これは大きな勘違いだということに気づき、今では失敗だらけの日々を送っています。
そこで今回の記事では、失敗だらけの毎日を送っている僕が「失敗は怖いものじゃない」ということを解説していきます。
挑戦したいことがあるけど、失敗が怖くてなかなか前に進めない人は是非、参考にしてみてください。
- 叶えたい夢がある
- 毎日を退屈に感じている
- 失敗は出来るだけしたくない
失敗することが怖いと思っている方へ
まず最初にお伝えしたいのは、失敗することは怖いことじゃないということです。
むしろ、失敗は楽しいものですらあります。
何故なら、失敗の先には必ず成長があるからです。
そして、成長の先に待っているものは、成功しかありません。
つまり失敗をひたすら繰り返していけば、いつかは必ず成功することができるということですね。
では、人はなぜ失敗を怖がってしまうのでしょうか?
主な理由は以下の3つです。
- 失敗=恥だと思っている
- 失敗=いけないことだと思っている
- 失敗=失敗だと思っている
順番に解説します。
失敗を怖がる理由①:失敗=恥だと思っている
失敗を怖がる人は、失敗することが恥ずかしいことだと思っています。
しかし失敗を楽しむためには、『失敗=恥』という考え方を捨てなければいけません。
何故なら、『失敗=恥』だと思っているうちは、失敗は本当に恥になるからです。
恥というのは人の目線を気にする自分が勝手に生み出したものに過ぎません。
例えば、誰もいない場所で転んだ場合、特に恥ずかしいなんて思うことはありませんが、大勢の人の前で転んだ場合、ほとんどの方は恥ずかしいと感じてしまいます。
確かに大勢の人の前であなたが転べば、つまり失敗すれば、一部の人はあなたのことを笑うかもしれませんが、よく考えてみると、あなたのことを笑う人たちは『失敗=恥』という固定概念に囚われた人でしかありません。
逆にあなたのことを笑わない人は、失敗することの大切さや、失敗することが成長の過程で必要なプロセスだと理解している人です。
そして『失敗=恥』という考えを捨てた途端、引き寄せに法則によって、あなたの目にはあなたを笑わない人しか映らなくなります。
あなたのことを笑う人が見えないということは、あなたにとって失敗はもう恥ではなくなったということですね。
こんな説明するまでもなく、泥まみれになって、ボロボロになって前に進む姿ってカッコよくないですか?
失敗を怖がる理由②:失敗=いけないことだと思っている
『失敗をしてはいけない』という風潮が日本では強くあります。
この考え方は無意識レベルで、根強く浸透していて『転職=悪』『倒産=悪』『借金=悪』といったイメージなのはそのため。
例えば、「転職3回目」と聞くと、企業は「転職理由」を聞きたがりますし、一般的にも「何か問題がある」という印象を持たれてしまうでしょう。
一方、アメリカでは転職回数17回など普通にあり得る話で、むしろ1つの企業でしか勤めたことのない人は「経験不足」とさえ捉えられます。
失敗は成長の過程で必ず通る道。
たくさんの失敗をすればするほど、成長できるはずなのですが、どういう訳か日本では失敗を許してはくれません。
しかし、先程も書いた通り、失敗は成長に必要なプロセスなので、『失敗してがいけない』という考え方は成長を妨げる考え方でもあります。
失敗する自分を恥じるのではなく、失敗を恐れて挑戦しない自分を恥じましょう。
失敗を怖がる理由③:失敗=失敗だと思っている
今更ですが、あなたにとって失敗とはなんでしょうか?
継続できないことでしょうか?
結果が出せないことでしょうか?
それとも間違った選択をしてしまうことでしょうか?
僕が思う失敗は「何もしない」ことです。
「何もしない」ことに比べたら、継続できないことも、結果が出せないことも、間違った選択さえも失敗ではありません。
新しい事に挑むということは、暗い道に入るのと同じです。
何も分からず怖くて、どっちが正解かも分からず、進んだ先で落とし穴にハマるかもしれない。
そんな恐怖でいっぱいになります。
怖がる姿は確かに滑稽に見えるかもしれません。
でも、僕にはその姿がとても勇気のある行動に映ります。
怖くて震えて迷いながら泣きながら前に進む。
僕はそんな姿をとても失敗とは思えないのです。
子ども達に伝えたいこと
人の失敗を笑う人は、自分が失敗した時も笑われると勘違いしています。
いや、その人の視点だと実際に笑ってる人しか瞳に映さないのでしょう。
だから、「笑われたくない」「恥をかきたくない」と自分の行動に制限をかけてしまいます。
失敗したくないあまり、何にも挑まず時を過ごしてしまったら、いつか自分の子供が夢を持った時に一体、どれだけのことを伝えられるでしょうか?
「失敗することは恥ずかしいことだから何もするな」と自分の子供に言うのでしょうか?
失敗しないで済む、暖かく安全だと思っていた場所は、本当は暗くて冷たい世界なのかもしれません。
失敗が許される時
確かに僕たちが育ってきた環境は、失敗を良しとしてはくれなかったかもしれません。
しかし、そんな僕たちだからこそ「たくさんの失敗をして良いよ」という言葉に、どれだけ救われるかが分かるはずです。
自分が失敗に足が竦んでしまった時に「大丈夫」と言ってくれる存在がいれば、どれだけ心強いでしょう。
僕たちが他人の失敗を許せる存在になれた時、僕たち自身の失敗が許される時なのかもしれません。