意識高い系かよ(笑)
目標・努力・継続・経験・行動・意識・理想・有益
インプット・アウトプット・リテラシー
そんな言葉を多用しながら何かを目指し、志していれば「意識高い系(笑)」と言われることがあると思います。
今回の記事では、どれだけバカにされようと、どれだけ嘲笑の目で見られても、「意識は絶対に高く持つべきだ」というテーマでお話をします。
意識の高い人になるべきたった1つの理由
意識を高く持つべき理由は1つだけです。
人間として生まれたからです。
人間は生き物としてのレベルが低く、どんな点においても他の生物に劣っています。
しかし、頭脳だけは飛び抜けて他の生物よりも優れています。
そのおかげで人類は弱いながらに発展することができました。
では、人間から頭脳を取ると何が残るのか?
何も残りません。
以前、アジアで最も学ばない国(日本)という記事でも書きましたが、日本人は本当に勉強をしません。
勉強しない人間が大多数を占めるなら、勉強する少数派はバカにされたり、煙たがられる状況も必ず出てきます。
僕自身、勉強を始める前は目標に向けて努力している人や、ストイックな人が苦手でした。
というのも、話をしてたり、その人を見ていると何かが胸に刺さるからです。
僕は「避ける」という行動を取っていましたが、人によっては叩く、嘲笑うなど形を変えます。
今思うと、もっと早くから彼らと深く関わるべきでした。
別に何か言われた訳でもなく、された訳でもありません。
ただ眩しい彼らから目を背けて、まるで存在しないかのように扱い、逃げていただけです。
そして、目を背けているうちは日本人のバカさ加減(何もない空っぽ状態)に気づけることはありませんでした。
意識が高くなるということ
意識が高いって何?
僕の出した結論は『行動を起こすことができる』です。
勉強をしている=意識が高いではありません。
勉強は行動を起こしていく中で必須ですが、勉強しているだけでは意識的にはそれほど変わりません。
何故なら、経験が伴わないからです。
いくら、料理の勉強を机でしても、何千回とカレーの作り方の動画を見ても、その人が料理を作れるようにはなりません。
行動こそが最も勉強になる
完璧な手順が頭の中に入っていたとしても
野菜や肉のリアルな質感・包丁の握り方・切り方・鍋の扱い方・火の入れ方・加減など
いざ、台所の前に立つと分からない事だらけで現実を知ることになります。
しかし、それは当然のことで、机の上で勉強だけしていると、意識を1つにしか向けることができません。
例えば
玉ねぎの扱い方を机の上で学んだとします。
玉ねぎを切るときはこうやるんやでー
では、彼女に実際に玉ねぎを切ってもらいます。
え?どうしたら良いん?
まぁとりあえず、本通りに切ってみるか・・・
目が痛い。
手を切りそう。
彼女は机の上で玉ねぎについて勉強していた時は、「玉ねぎについて知る」ことにしか意識が向いていませんでした。
しかし、調理する時に必要なのは玉ねぎだけの知識ではなく、先程も書いた
包丁の握り方や、火の扱い方など、調理に関わる全てを知っていなくてはいけません。
これは火の扱い方や切り方を学んでいても同じです。
鍋を熱したら持つところが熱くなることや、食材によって切るときの持ち方、硬さなど挙げ出したらキリがないぐらい、様々な本には書いていない現実と直面することになります。
しかし、実際に調理してる人からしたら当たり前の事実。
なので、玉ねぎの扱い方を知るには玉ねぎを触った方が遥かに勉強になるのです。
そして、それは全ての事柄に当てはまります。
勉強・考える・行動はセット
勉強し、実際に触ってみて、分からないことが出てきた時に考え、再び分からないことを補填するために勉強する。
大切なのは、これの繰り返しです。
当たり前ですが、最初は分からないことだらけです。
そもそも、勉強のやり方すら分からない、考えることもチンプンカン。
行動も何をすれば良いか全く分からない。
そんなこんなを繰り返す日々を送っていると、気がついたら本当に遠くまで進むことができていて、行動を起こす前の自分とは別人だということに気がつきます。
人生には楽しさも必要ですが、それだけでは生きていけないのも事実です。
勉強・思考・行動が最終的に誰のためになるのか?を今一度考えてみましょう。